君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな 君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな
現代語訳
あなたと逢うためなら惜しくもなかった命までもが、今では長くあってほしいと思うようになったよ。
所載歌集
後拾遺集 恋二 669

夭逝の貴公子

「もがな」は「~であってほしい」や「~でありたい」と自らの願望を表わす終助詞。あなたのためなら命も惜しくなかった、という恋が成就する前の一途な思いと対比し、この先も長くふたりの関係が続くことを願う。43「あひみての」が逢瀬の後から昔をふり返ったのとは対照的に、時間の流れるまま、一夜でがらっと変化した人生観を素直に詠む。逢瀬の余韻にまだひたっているかのようだ。義孝は早くから仏道への関心が高く、「惜しからざりし命」を、現世を仮の世として、そこでの命はいつ終わってもよいと思っていた、とする解釈もある。いずれにせよ、恋によって人生の新たな世界へ進もうとする若者の、希望に満ちあふれた一首。

 

義孝は45伊尹(これまさ)の息子。『大鏡』は「あまりにうるはしくおはせし」と絶世の美男であることを強調するとともに「年ごろきはめたる道心者」と信仰心の厚い青年であったことを伝える。19歳で結婚し一男をもうける。55「滝の音は」62「夜をこめて」に登場する三蹟のひとり、行成だ。2年後、天然痘の流行に遭い一歳年上の兄と同日に亡くなる。兄は朝に、弟は夕にだったという。53道綱母も『蜻蛉日記』に「ふたりながら、その月の十六日に亡くなりぬと言ひ騒ぐ。思ひやるもいみじきこと限りなし」と書きとめる。短い生涯を思うと、「長くもがな」がせつなくなる。

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