月見れば千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど 月見れば千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど
現代語訳
月を見るといろいろと物悲しくなってくるよ。私ひとりのために来た秋というわけでもないのだが。
所載歌集
古今集 秋上 193

月が心を

892年秋に宇多天皇の兄・是貞(これさだ)親王家で行われた歌合の歌。唐の詩人・白居易(白楽天)の「燕子楼(えんしろう)の中の霜月(そうげつ)の夜、秋来たって(ただ)一人の為に長し(この燕子楼に霜が降りる月夜、秋になってただ一人のためにその長さが身にしみる)」の後半をベースにしたもの。白居易は当時の貴族にとっての必読書で、詩句をそらんじ、その季節や場面に応じてとっさに引用することが教養のひとつであった。この句も有名で、55藤原公任が、声を出してうたうのにふさわしい和歌と漢詩の一節を集めた『和漢朗詠集』にも入る。

作者・大江千里は漢学者音人(おとんど)の子で、73匡房に連なる漢学の家の礎を築いたひとり。この二年後、漢詩の一節と、それにふさわしい和歌を添えた『句題和歌』を宇多天皇に献上した。和歌の地位を漢詩と匹敵するレベルに高めた、古今集前夜を語る上で欠かせない歌人である。

歌は「千々」と「ひとつ」を対照させ、秋の月を前にしみじみ物思いにふける感傷的な気分を強調し、倒置法にして言いかけたまま終わることで余韻を演出する。86西行歌の本歌とする見方もある。なお千里は春の月についても「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき(輝きもせずすっかり曇ることもない春の夜の朧月夜にまさるものはない)」との名歌を残している。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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