高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ 高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ
現代語訳
あの高い山の峰の桜が咲いたよ。手前の山の霞よ、どうか立たずにいておくれ。
所載歌集
後拾遺集 春上 120

今年の花見は?

吉野山桜 ©一般財団法人奈良県ビジターズビューロー

花見の酒宴での一首。場所は内大臣・藤原師通邸。内大臣は左右大臣に次ぐ位で、道長の曾孫でもある師通は後に関白となる。作者・大江匡房は漢学の専門家である大江家にあって幼少のころから神童と称され、途中でただの人になることなく、期待通りに学者として大成する。師通に漢学を教えてもいた。平安後期の政治・文化を語る上で欠かせない存在である。この日の宴会で出された題は「はるかに山桜を望む」というもの。92二条院讃岐の「石に寄する恋」と比べると何ともおおらかだ。

「高砂」は高い山のことで、ここでは特定の地名(現在の兵庫県高砂市あたり)を連想する必要はない。遠くに見える山の桜が咲いたからいつまでも見ていたい、と前半は素直にうたう。非常に分かりやすい。後半に少しひねりが入る。「外山」は里近くの山。「霞」を擬人化して「桜を隠すような意地悪をしないでくれ」と頼むのだ。歌末の「なむ」は、他への願望を表す終助詞。「~てくれ、~てほしい」と訳すことが多い。古文の授業では、この歌と26「小倉山」の後半「今ひとたびのみゆき待たなむ(今一度の帝のお出ましを待っていてくれ)」をよく引き合いに出す。

八重紅枝垂桜興福寺 ©エムケイ株式会社

今年の花見、邪魔をするのは霞ではないが、これ以上「立たずもあらなむ」と切に願いたい。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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