- 現代語訳
- 人がいとおしくも、恨めしくもあるよ。つまらないものだと世の中を思うために物思いに苦しむ我が身は。
- 所載歌集
- 続後撰集 雑中 1202
治天の君の苦悩
「をし」は「愛し」と書き、いとおしいという意味。ときにいとおしく思い、ときに恨めしく思うとは、感情の幅の広さや揺れの大きさのこと。ここにあげたふたつの感情に限定する必要はない。治天の君として、また歌人として、これまで関わってきたさまざまな人間像に思いを馳せしみじみと振り返る。世を「あぢきなく」というところからは、意のままにいかぬ世の中を前にしての苦悩と、人間そのものへの愛憎の交錯が見える。複雑な心境を一首で言い尽くそうとした苦労を感じる。1212年33歳のとき、本来ならひとりで百首を詠むところ歌人五人で計百首を詠もうと自ら企画し、97定家や98家隆らとともに詠んだうちの「述懐」の一首。去年より夜の寝覚めに慣れたのは年齢のせいかと詠んだ「去年(こぞ)よりも秋の寝覚めぞなれにけるつもれる年のしるしにやあらむ」や、髪の白くなったのを気にする「いかにせむ三十路あまりの初霜をうち払ふほどになりにけるかな」といった歌もある。いよいよ人生の後半から終盤を意識しはじめている。承久の乱に敗れ隠岐に流されるのはこの10年後。
隠岐での和歌活動には新古今集の再編集や、当地での心境を詠んだ「遠島百首」が知られる。百人一首に関わるところでは、八代集の主要歌人百人を選び新旧に分け、代表歌三首を歌合ふうに番えた「時代不同歌合」がある。定家の着想や選歌に影響を与えたという。