今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言うよしもがな 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言うよしもがな
現代語訳
今となってはせめて「思いをあきらめよう」とだけでも人づてでなくて、直接言う方法があってほしいものだよ。
所載歌集
後拾遺集 恋三 750

禁断の恋

禁じられた恋の幕を自ら引かなければならなくなった男の歌。相手は68三条院の娘・当子(とうし)内親王。斎宮として伊勢にいた内親王は父の譲位に伴い任が解かれ、京に戻った。斎宮とは伊勢神宮に仕える未婚の皇女。代替わりや服喪を機に交代することが多かった。道雅は54儀同三司母の孫でその儀同三司こと伊周(これちか)の息子。伊周は父・道隆の威光もあり異例の若さで右大臣に昇進するが、花山院に矢を向けた疑いで失脚。まもなく道長が外戚として権勢を誇る時代となり、再び脚光を浴びることなく失意のまま38歳の若さで亡くなる。息子・道雅は三位になるがこれといった地位に就けず「悪三位」「荒三位」という悪名ばかりが広まる。その道雅が皇女と通じたのだ。院は激怒して娘の警護を厳重にし、道雅は二度と会えなかった。せめて別れを告げることばだけでも直接伝えたい、というこの最後の望みもかなえられずに終わる。恋の思いを技巧に託して印象的に伝える歌や、後朝の思いを素直に詠んだ歌の多い摂関期の貴人の中にあって異彩を放つ。

 

43敦忠に、娘との関係をその父に制せられて「いかにしてかく思ふてふ事をだに人づてならで君に語らむ(どうにかして、こんなに思っているということをせめて人づてでなく、直接あなたに話したい)」と詠んだ歌が後撰集にある。敦忠集では43「あひみての」と同じ時の歌と伝える。このような状況でもなお古歌に学んでいるのだ。ただ、この後、事がうまく進んだ敦忠と比べるといよいよ切なくなる。

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