- 現代語訳
- ためらわずに寝てしまえばよかったのに。おかげで夜がふけて傾くまでの月を見てしまったよ。
- 所載歌集
- 後拾遺集 恋二 680
月をずっと見続けるとき
状況は有明の月を待った21「いまこむと」と同じで、一晩中男の訪れを待ちつづけ、結局は来なかったときの恨み歌。下句の「かたぶくまでの月を」に気をとめておきたい。「かたぶくまで月を」であればそれだけの長い時間が強調される。そこに「の」を入れることで月そのものも対象となり、夜通し月を見続けていたことになる。どんな思いで月を見ていたのだろうか。期待、不安、怒り、恨み、あきらめ、自嘲、などいろいろな思いが浮かんでくる。「月を見しかな」の詠嘆「かな」からは、むなしく過ごしてしまったことへのため息が聞こえてきそうだ。そして上の句に戻ると、こんな思いをするぐらいなら早く寝ておけばよかったのに、と、男のことばをあてにした自分のおろかさを見つめ直す作者がいる。恨み歌でありながら恨み言を入れないことで、相手の男を思い浮かべることなく、女の悩ましげな気持ちに焦点が絞られる。
出典の後拾遺集の詞書によると、後に中関白と呼ばれる藤原道隆がまだ少将だったとき、今夜訪れると言いながら来なかった翌朝、その相手の姉妹であった作者が代わって詠んだとある。赤染は若いときから道長室・倫子に仕え長く信頼を得る。
夫の大江匡衡は一条天皇の侍読となるなど漢学者として活躍。道長時代に彩りを添えた女房歌人のひとりで、『栄花物語』正編の作者に擬せられる。73匡房は曽孫。
〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉