明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
現代語訳
夜が明ければまた暮れるものとは知りながら、それでもはやり恨めしい朝ぼらけだなあ。
所載歌集
後拾遺集 恋二 672

義孝の死から20年、疫病再び

43「あひみての」50「君がためを」に続く後朝(きぬぎぬ)の歌。夜が明ければまた日が暮れることはわかっていても、この朝ぼらけが恨めしい。今夜も逢えるとわかっていて、それでも収まらない気持ちをいう。詠嘆「かな」からは、別れ際の未練にあふれたため息が聞こえてきそうだ。女への深い愛情がこめられる。『道信集』には「女のもとより帰りて」とあるだけだが、後拾遺集では雪の日の歌と伝える。夜明けに雪明りが重なり幻想的な景色になる。雪の降った朝ぼらけはいつもより明るい。雪にだまされて、それとは知らずに帰り支度をしたのであれば、ちょっと早すぎる。そのわずかな時間さえもったいない。「恨めしき」にはそんなぼやきも含まれる。

 

道信は太政大臣藤原為光の子。母は45伊尹(これまさ)の娘。50義孝はいとこ。51実方と親しく、家集には14首ものやり取りが伝わる。『大鏡』は「いみじき和歌上手にて、心にくきものに言はれ給ひし」と和歌が上手で奥ゆかしい人と評す。994年7月、流行の疫病にかかり23歳の若さで生涯を終える。一緒に秋の花紅葉を見る約束をしていた実方は「見むといひし人ははかなく消えにしをひとり露けき秋の花かな(一緒に見ようと約束したあなたはあっけなく消えてしまい、露に濡れた花のようにひとり涙にくれているよ)」と詠み、早すぎるあっけない死を惜しんだ。義孝の死から20年後であった。

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