朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれわたる瀬々の網代木 朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれわたる瀬々の網代木
現代語訳
夜がしらじらと明けはじめると、宇治川に立ちこめた霧の絶え間から次第に見えてくる、瀬々に仕掛けた網代木であるよ。
所載歌集
千載集 冬 420

彼の歌もまた

都の人にとって宇治は奈良や長谷寺へ行く途中の中継点であり、また貴族の別邸が並ぶところでもあった。道長や行成の日記によると、朝早くに都を出発するとお昼前後には宇治に到着するようだ。ここで宴を開いて奈良へ向かったり、あるいは遅めの時間に出てここに宿泊したりすることもあった。53藤原道綱母は長谷寺に詣でる途中で見た宇治川の光景を「網代などを渡しかけ、行き来する舟もたくさんあり、今まで見たことのない景色だ」とし、「すべてあはれにをかし」と大いに感激した様子を『蜻蛉日記』に書きとめた。

網代は川瀬で氷魚(ひお)(アユの稚魚)を獲る仕掛けのことで、秋から冬にかけての宇治の名物。冷たい空気の張りつめた中、夜明けを感じて霧が立ちのぼる光景をおおらかに詠む。「あらはれわたる」の「わたる」は一面に広がるの意味。霧が晴れていくにつれて、網代が次から次へと目に入ってくる様子をいう。一瞬の景色をとらえるのではなく、時間が経ち、明るくなるにつれて、うたわれる風景が広がっていく。

宇治大橋

ちょうど『源氏物語』が世の中に広まったころの作である。物語の後半「宇治十帖」では、隠棲や修行の地として霧に包まれた宇治が舞台となった。この歌も物語の一場面のようだ。女性関係に悩まされた面影はない。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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