契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
現代語訳
約束しましたよね。お互いに涙でぬれた袖をしぼりながら、あの「末の松山」を波が越えないように、決して心変わりはしまいと。
所載歌集
後拾遺集 恋四 770三十六歌仙

東日本大震災から9年、あの時に

宮城県多賀城市の宝国寺は海から2キロの内陸にある。東日本大震災の時、津波は寺の本殿の石段までにとどまり避難していた約100名は寺とともに無事だった。この寺の裏山にそびえたつ二本の松が「末の松山」だと語り継がれている。松尾芭蕉も『奥の細道』の旅で目にした。平安和歌の世界では、「末の松山」を波が越えることはあり得ないとして、心変わりのないことのたとえに用いられる。この「末の松山」を本当に波が越えなかった、というので当時話題になった。

歌は、あんなに固く約束したのにどうして心変わりしちゃったの、と女性の心変わりを嘆いた男のもの。古今集に「あなたをさしおいて浮気心を私が持ったなら、その時はあの末の松山を波も越えるでしょう(君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ)」という歌がある。心変わりはあり得ないことを「末の松山」に託した頼もしい歌だ。これを踏まえる。初句「契りきな」の「な」は詠嘆。確かに約束したのに、それを自分は今まで信じ続けたのに、というやるせない思いが凝縮されている。作者は清少納言の父。実体験から生まれた歌ではなく、頼まれて代作したもの。元輔には依頼されての歌が多い。そこから百人一首に入るのだから、質もすぐれていたことを物語っている。

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