白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
現代語訳
白露に風がしきりに吹きかかる秋の野は、貫きとめておかなかった玉が散っているよ。
所載歌集
後撰集 秋中 308

見立てくらべ

「玉」は真珠のこと。露を見立てたものとして万葉集にも多く詠まれた、この時代にはおなじみの発想だ。出典の後撰集を開くと、この歌は35紀貫之「秋の野の草は糸とも見えなくに置く白露を玉と()くらむ(秋の野の草は糸でもないに、どうして白露を玉のように貫きとどめているのだろう)」と30壬生忠岑「秋の野に置く白露を今朝見れば玉や敷けるとおどろかれつつ(秋の野に置いた白露を今朝見たら玉を敷いたのかとはっとさせられたよ)」にはさまれている。いずれも秋の野の一面に白露が降りた様子を見て、草が露を貫きかけていると見立てたり、玉が敷きつめられたかと見紛ってみたり、おのおのが着想を競い合っているかのようだ。朝康の歌も散りばめられた玉に見立てるという、幻想的な光景に仕立てている。

そこに「風の吹きしく」と動きのあることばを加える。「しく」は「しきりに~する」という意味で「頻く」という字をあてる。これによって歌末「散りける」がその場の光景にとどまらず、美しい玉もすぐに散って消えてしまうであろうその後の展開までをもイメージさせる。あとには何も残らないはかなさまで視野に入れる点で、他の二首に比べ一歩抜きんでている。

朝康は古今集成立前後に活躍したというがこの歌の他には古今集と後撰集に各一首残るだけだ。22康秀の息子。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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