山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば
現代語訳
山里では、冬はとりわけさびしさがまさるのだなあ。人も離れ草も枯れてしまうかと思うと。
所載歌集
古今集 冬 315三十六歌仙

ポイントは掛詞

掛詞を説明するときによく引き合いに出す。「人目が()れる」と「草が枯れる」は意味がかけ離れているのでわかりやすい。このうち意表をつかれるのは「人目」だ。「人目」とうたうことで、例えば風流を求めてやってきたり、俗世のわずらわしさを避け隠棲の地を探したり、とさまざまな「人目」が思い浮かぶ。ところがそうした人さえもいないのが冬の山里なのだという。人の姿をいったんイメージさせておきながら「()れぬ」とすることで、誰もいないさびしさを際立たせる。

古今集成立の十年ほど前の歌合に「秋来れば虫とともにぞなかれぬる人も草葉もかれぬと思へば」という類想の歌がある。この歌との前後関係は不明だが、涙にくれる人が残る秋の歌と比べると、人の気配さえ残らぬ冬の山里の厳しさが強調される。

「山里」という語は万葉集にはない。古今集では桜が咲いても「見る人もなき山里」と詠まれ、秋の夕暮の山里は「風よりほかにとふ人もなし」とされるなど、春や秋でも人の訪れない地という認識であった。この歌は冬の巻の第二首目。冬のさびしさや厳しさを象徴する。それが定家の時代になると、人目のない山里のさびしさに美を見出すようになる。「山里」の一隅に立つ「小倉山荘」にふさわしい一首。宗于は15光孝天皇の孫。同時期を生きた35貫之と詠み合った晩年の述懐歌が互いの家集に残る。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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